サービス案内“展”職成功者インタビュー

青栁 伸子

合同会社NOBuコンサルティング 代表・コンサルタント

青栁 伸子 氏

面白いと思ったことは何でもしてきた。
引き出しの多さが、40代からの自分を支える

アクシアムのご相談者の中には、非常にユニークなキャリア変遷を辿られ、見事に展望を実現された方がおられます。今回ご登場いただく青栁氏もそのおひとり。青栁氏は音楽家活動(ハープ奏者)をされながら音響機器メーカーの事務職からキャリアをスタートされ、結婚退職・主婦業を経て、あるスタートアップベンチャーに参画。その創業期を支えて会社の躍進に貢献された後、エルメスジャポンのHRマネージャーに転身。その後もボッテガ・ヴェネタ、フォリフォリなど名だたるラグジュアリー・ブランドの人事部門を牽引してこられました。アクシアムがそんな青栁様をお手伝いしたのは、エルメスジャポンへの転職の際。大胆なキャリアチェンジに成功され、その後もラグジュアリー業界で自らのキャリアを創ってこられた秘訣とは? 当時の担当キャリアコンサルタントである渡邊光章がお話を伺いました。

ラグジュアリー業界で活躍後、会社を立ち上げ、本も執筆

渡邊

貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。青栁さんに初めてお目にかかったのは…もう17年前になりますね。本日は当時のお話も交えながら、青栁さんのキャリア人生について色々とお伺いできればと思っています。どうぞ宜しくお願いします。早速ですが、つい最近、本を上梓されたとか?

青栁氏

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はい。『人を幸せにするMétier』というタイトルで、エルメスジャポン時代の経験・知見を中心に「接客販売職」の魅力・奥深さなどについて書かせていただきました。本の帯の煽り文句には「人事のプロが贈る接客販売業への賛歌」とありますが、じつはこれ、私自身が考えたんです(笑)。「店頭でモノを売るなんて誰でもできる仕事」と軽視されることも多い接客販売職が、いかに想像力や創造力、瞬発力、好奇心などを必要とする難しい職業であるか、そしていかにお客様を幸せにし、自分自身も幸せを感じられる素晴らしい仕事であるかを綴っています。

渡邊

なるほど。タイトルの「Métier」とは、どんな意味なのですか?

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青栁氏

「Métier」とは、フランス語で「仕事・職業」を意味する言葉。エルメスジャポン時代に教わった単語です。日本では「お仕事は何をされているんですか?」と問われたとき、「○○○株式会社におります」と答える方が少なくありません。でも、それっておかしいですよね。会社は所属先であって、その方の仕事、職業ではない。本来なら営業であるとか、人事であるとか職種を語るべき。エルメスジャポンでは、そのような日本独特の職業観について、あるいは「自分にとって仕事って何だろう?」と深く考えるきっかけを多くいただきました。そんなこともあり、この単語を本のタイトルに使わせてもらいました。

渡邊

内容は接客販売職について書かれているのでしょうが、お話を伺っていると、働く人すべてに共通のテーマが含まれているような気がします。これはぜひ、読ませていただきますね。でもまさか、初めてお会いした17年前には、青栁さんがこのような本を書かれ、また独立してコンサルティング事務所を立ち上げられるとは思ってもみませんでした。

青栁氏

そうですよね。エルメスジャポンとのご縁がなければ、現在の自分はいないと思います。HRの領域やラグジュアリー業界でキャリアを重ねることもきっとなかったですし。特に当時日本法人を率いていた齋藤社長との出会いを作っていただいたことは、本当に心から渡邊さんに感謝しています。

渡邊

そう言っていただけると嬉しいかぎりです。

主婦から一転、スタートアップベンチャーへ

渡邊

エルメスへ移られたことは大きなキャリアチェンジだったと思いますが、それ以前の青栁さんのご経歴も大変ユニークで波乱万丈です。

青栁氏

はい。私は中学生から始めたハープでプロの演奏家を目指していたのですが、それだけでは食べて行けそうになく、短大卒業後、ハープ奏者としての活動をしながら、ある日系の音響機器メーカーに就職しました。そこでは営業本部の事務職として働き、その後、結婚退職。家庭に入って主婦をしていました。

渡邊

主婦業をなさっていたのに、なぜベンチャーに参画されることになったのですか?

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青栁氏

当時の配偶者の友人がソフトウエア関連のスタートアップベンチャーを立ち上げ、その手伝いを頼まれたことがきっかけでした。その会社にはまだ3人の創業メンバーしかおらず、事務の手が足りないからと。ですから私も「主婦のアルバイト」のつもりで引き受け、働き始めたんです。ところが順調に会社が成長するにつれ、どんどんそこで働くのが面白くなり、夢中で仕事をするようになりました。ベンチャーですから、当時は本当に何でもしました。営業、マーケティング、経営企画、開発、法務、広報、人事…社長以外は全部と言ってもいいくらいです(笑)。英語ができたということもあり、便利だったのかもしれませんね。でもだからこそ、その後、色々と組織の変化が起こっても会社に残り続けられたのだと思います。

渡邊

開発まで手掛けられていたとは! すごい経験をされましたね。その会社には最終的に何年間いらっしゃったのですか?

青栁氏

結局約18年おりました。3人だった会社が、私の退職時には260人ほどに拡大していました。日々どんどん人が増えていって、オフィスの場所が足りなくなるほど。そのせいで10回も引っ越したんですよ。急激に人が増えていく中での人事関連の対応、ファシリティ関連の対応などもやりました。それから組織が拡大とともに変化していくさまをつぶさに見て、体験して…大変でしたが、振り返るとどれも私にとっては大変貴重な経験だったと感じています。

18年間務めた会社を離れ、転職を決意

渡邊

長年務め、その成長に貢献してきた会社を辞めよう、転職しようと思われたきっかけは何ですか?

青栁氏

在籍していた18年の間には、会社が買収されて外資系になったり、その後日本のライバル会社を吸収合併したりと大きな変化が何度となく起こりました。主婦だった私を誘ってくれた創業社長をはじめ、創業メンバーの多くが去ってしまったこともありました。でも、じつはそれらは辞めたいと思うきっかけにはならなかったんです。逆に買収のさなかでも「こんなにすごいことが自分の身の回りで起きるなんて、これを経験しない手はない!」と思い、むしろ面白く感じていました。

ですが、何人か会社の代表者が変わる中で「このやり方には賛同できない」と思うことがありまして。何もないスタートの段階から関わらせてもらい、会社をまるで自分の子供のように思って頑張っていましたが、新たな道を探すべきじゃないかと決意したのです。私はそれまで転職の経験などありませんし、職探しと聞いて思いつくのは新聞の求人欄を見ることぐらい。どうすればいいか何もわからない状態でしたので、知人を頼り、アクシアムを紹介していただきました。

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渡邊

そうでしたね。当時も今も思うことですが、本当にキャリア構築に成功する人というのは、些細なきっかけ、ちょっとした材料を見過ごさない人なんです。青栁さんは、最小のきっかけや最少の材料で、最大のバリューを得てしまえる人。言い換えると、人との出会い、タイミング、経験等々、ご自分の前にあるきっかけや材料をとても大切にする。それらを決して無駄にせず、活かしていける人なのだと思います。

エルメスのHRマネージャーへキャリアチェンジ

渡邊

あの時、クライアントであるエルメスジャポンからのオーダーは、こんな内容でした。「これから、エルメスジャポンは変わらなければならない。だから今回お願いするHRマネージャーに求めるのは、改革の局面に強く、ハードスキルをきちんと備えた人。くわえて外資系と日系の組織の違いに明るい人。そして、エルメスというブランドに取り込まれてしまわない人」。非常に難しいオーダーでしたが、青栁さんにお会いしてすぐ、「この人なら」とエルメスの求人が頭をよぎりました。

青栁氏

そうだったのですか。私自身は、渡邊さんにお会いして思いもかけないチャンスをご紹介いただき、正直驚いていました。ダメでもともと、記念受験をするような気持ちで面接を受けたくらいです。

渡邊

ですが初回インタビューで、即採用が決まりましたよね。他にも複数の候補者がいらっしゃったとエルメスジャポンからは伺いました。

青栁氏

はい。オファーを得て実際に入社してからも「どうして私なの?」という思いが消えず、実際に当時の齋藤社長に尋ねてみました。すると「面接での話がとにかく面白かった。私が知らないことをたくさん知っていて、しかもそれを分かりやすく説明してくれた点を評価した」と言っていただきました。

渡邊

人事はもちろん、営業からソフトウエア開発、バックオフィス業務まで、何でもこなされてきたことが活きたのですね。

青栁氏

そうかもしれません。あとは広報業務での経験や、製品マニュアルを作成していた経験なども、難しいことをかみ砕いて伝えるというスキルにつながったのかも。それから、直接明言はされませんでしたが、ラグジュアリー業界に一切のしがらみがないことも大きなポイントではなかったかと推察しています。

渡邊

オファーが出てからの、青栁さんご自身のご決断も早かったように記憶しています。

青栁氏

いえいえ、あまりの急展開に、戸惑いや迷いもありました。ですがその時、渡邊さんから「迷いはわかるが早く決断しなければ、この話は逃げてしまうかもしれない。この仕事を他の誰かが手がけることになっても仕方ないと思うなら、時間をかけてもいい」という意味のアドバイスをいただいたんです。この言葉を伺って、「この仕事を誰にも渡したくない」と決心できました。私の気持ちに寄り添いつつ、正しく背中を押していただけたと感じています。

新たなステージをむかえた現在

渡邊

エルメスへ移られてからは、組織の大改革を手がけられましたね。

青栁氏

はい。当時のエルメスジャポンは、外資とはいえ実情は非常にドメスティックな組織になっており、それが悪い方向に働いていました。齋藤社長からは「組織の形態や人事評価など、好きにしていい。ただし、今あるものを変えるのではなく、まったく新しいものを作ってくれ」とオーダーされました。転職してすぐの私に、こんなに大胆に信頼を置いて任せてくれるなんて、と奮起しましたね。

エルメスにとっては、高価なブランド品を扱う「接客販売職」の人たちの能力こそ、財産でありビジネスの成功の根幹。そう考え、「接客販売職」の地位や報酬を向上させ、ハッピーに働いてもらえることを中心に組織改革、制度設計を行いました。相当な力技で大変でしたが、本当に刺激的で楽しい日々でした。

渡邊

エルメスで改革を実現された後も、ボッテガ・ヴェネタ、フォリフォリと移られ、ラグジュアリー業界で活躍をされました。もうソフトウエア業界よりもラグジュアリー業界でのキャリアの方が長くなられたのでは?

青栁氏

そうですね。3社を合わせると、そろそろこの業界の方が長くなりますね。18年間のベンチャー生活で培ったものと、7年半のエルメスでの経験から得たもので、その後も仕事ができたのだと思います。

渡邊

昨年、ご自身の会社を立ち上げられましたね?

青栁氏

ちょうどフォリフォリを定年退職したこともあり、会社を始めることにしました。これまで務めた会社、そこで関わった多くの方から私がいただいたスキル・知識・経験を使い、これからは色々な会社のお手伝いをすることと、そしてそれらを次の世代に伝えていくことに注力したいと思っています。具体的には、HRコンサルタントとして、ある外資系ブランドのアドバイザリーをさせていただいていたり、ある若手人材をHRマネージャーに育てる取り組みを行ったりしています。

渡邊

相変わらず、すごいバイタリティですね! 青栁さんらしいです。このインタビューを読んでいる方々にも、何かアドバイスをいただけますか?

青栁氏

そうですね…20代や30代の方には、「面白いと思ったことは、とにかく何でもやっておくべき」とお伝えしたいです。ご自分の引き出しに、できるだけたくさんのものを今のうちに詰め込んでください。その中には、失敗が入っていたっていい。無駄なことなんて、何ひとつありません。40代、50代になってどんどん歳を重ねていくにつれ、新しいことが怖くてできなくなってきます。でもそんな時、その引き出しの中から何かを持ってきて使うようにすると、少し楽になってまた前に踏み出せますから。

渡邊

貴重なお話しの数々、本当にありがとうございました。青栁さんの新たなステージでの、益々のご活躍を願っております。

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Profile

青栁 伸子

合同会社NOBuコンサルティング 代表・コンサルタント

青栁 伸子 氏

人事・総務・ITを専門分野とするコンサルタント。日系企業、日系ベンチャー企業での人事経験を経て、1999年にラクジュアリー・リテールの業界へ転身。エルメスジャポン、ボッテガ・ヴェネタジャパン、フォリフォリジャパンの各社で人事部門の責任者として、人材育成・組織開発・制度設計などにあたる。同時にビジネスパートナーとして、経営陣に対して人事的な側面からのサポートを行ない、会社の業績向上にも寄与。特に接客販売職の「専門職」としての地位確立と評価制度や処遇の改善や、女性が無理なく永く働ける環境作りなどに注力。2015年にコンサルタントとして独立。

著書『人を幸せにするMétier』(幻冬舎)

インタビュアー/担当キャリアコンサルタント

渡邊 光章

株式会社アクシアム 
代表取締役社長/エグゼクティブ・コンサルタント

渡邊 光章

留学カウンセラーを経て、エグゼクティブサーチのコンサルタントとなる。1993年に株式会社アクシアムを創業。MBAホルダーなどハイエンドの人材に関するキャリアコンサルティングを得意とする。社会的使命感と倫理観を備えた人材育成を支援する活動に力を入れ、大学生のインターンシップ、キャリア開発をテーマにした講演活動など多数。
大阪府立大学農学部生物コース卒、コーネル大学 Human Resource修了
1997年~1999年、民営人材紹介事業協議会理事
1998年~2002年、在日米国商工会議所(ACCJ)人的資源マネージメント委員会副委員長
著書『転職しかできない人展職までできる人』(日経人材情報)

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