
前段が長くなりました。ではまず「私自身のキャリア」、つまり私の旅の話から始めたいと思います。
私は東京の堅実な教師の家庭に生まれ、「お金儲けは悪い」「商売は悪い」といった価値観の両親のもと育ちました。あまり周囲にサラリーマンの大人の存在もありませんでした。しかし、なぜか幼い頃から"アタッシュケースを手にジェット機のタラップから降りてくるビジネスマン(自分)"といったビジュアルイメージがあり、国際的な仕事をすることに憧れている子供でした。
その後、演劇やダイビングに熱中する青春期を過ごし、紆余曲折を経て「やはり男はグローバルなビジネスの世界で勝負すべし!」と決意。大学卒業後は海外勤務を夢見て海運会社を選択しました。そのとき入社したのが山下新日本汽船株式会社(現 商船三井)です。それなりに楽しくやりがいをもって働いていたのですが、その後、日本に円高不況・海運不況の波が訪れます。そのときのマネジメント陣の姿をみて、不満や問題意識、危機意識を持ったことは、後の私のキャリアにとって大変大きかったと思います。
そして1987年、アリコ・ジャパンに転職。前職での体験もあり、「世界中どこでも、ひとりで飯を食っていけるプロになろう」と考えました。外資の世界=実力主義の世界で戦って生きていく覚悟を決めたのです。そのうちバブルをむかえ、世の中には浮ついたムードが流れましたが、私はこつこつ勉強と貯金の日々。そうして1990年、米国サンダーバード国際経営大学院へ自費留学をしたのです。サンダーバードを選んだのは、やはり一番興味のあったグローバルビジネスに強いといわれていたこと、6割が留学生という国際色豊かな環境があったことです。
現地での生活と異文化体験を楽しみながら、1991年の12月にMBAを修了。卒業後は日本へ戻る選択もありましたが、「自分は武者修行に出たのだから、もう少しアメリカで勝負しよう」とサンフランシスコのコンサルティング会社へ入社しました。そこではアメリカ中を駆け巡る日々。中堅規模の会社ながら、大手グローバル企業を数多くクライアントに持ち、大いに学ぶことができました。
その同社在籍中に、デルコンピュータの日本法人立ち上げプロジェクトに参画したのです。1993年には日本に帰国し、常駐コンサルタントの立場で本格的に関わりました。そうして1995年にはデルコンピュータ株式会社(現 デル株式会社)に移籍。「デル・ダイレクト・モデル」の構築、日本初のインターネット直販、法人向け直販事業などを立ち上げることに心血を注ぎました。
その頃の私は、自分が素晴らしいと信じたメーカー直販「デル・ダイレクト・モデル」の伝道師を自認しており、日本のIT業界に革命を起こすことを真剣に志していました。2000年8月、同社の代表取締役社長に就任したのですが、その内示を受けたときのことをよく覚えています。ある日、当時のアメリカ人社長に社長室へ呼び出され「君のアシスタントはとても素晴らしい人だ。けれど君はもう彼女と一緒に働くことができないぞ」と言われました。一瞬、自分が社長秘書として異動になるのか? などの考えがよぎり、まったく彼の意図が察せませんでした。そこで彼はこう言ったのです。「なぜなら浜田、君がこの場所に移ってくるからだ。3ヵ月後の発表まで家族以外、誰にもいうな。3ヵ月間、言動に注意すること」と。
以降、社長を務めた6年間で素晴らしいチームにも恵まれ、日本での年商は5倍の約3,100億円に。市場シェアは第10位から第3位へと伸ばすことができ、韓国・中国も統括。アジアを中心に「パイロットよりも海外出張している」と笑い話に出るような日々を過ごしました。
その6年間で「自分のやるべきことを十分にやれた」との思いや、「約20年ずっと外資系で働き学んできたが、また再び日本の様々な企業と関わってみたい」との考えもあり、2006年4月にデルを退任。同年5月に、株式会社リヴァンプへ代表パートナーとして参画しました。