求人特集

外資系転職・エグゼクティブ転職を叶える 『求人特集』

アクシアムが転職サポートを得意とするテーマ(外資系への転職、エグゼクティブ転職、CxO転職、年収アップ転職、MBA新卒時の転職、ポストMBA転職、コンサルティングファーム転職、キャリアチェンジ転職、英語を活かす転職など)ごとに、案件を厳選してご紹介する求人特集です。

日々のキャリアコンサルティングのなかで、ご要望やお問い合わせの多い業界、職種、キーワードなども取り上げ、随時更新いたします。

アクシアムのキャリアコンサルティング、転職サポートを利用され、ご自身の“展望”を実現された方々のインタビューをご紹介します。その言葉の数々には、キャリアの軌跡、考え方、選択や決断のポイントなど、成功の秘訣が満載。ぜひキャリアデザイン、キャリア構築の参考になさってください。

『MBA留学がくれたもの。
それは“自由に生きる“という選択肢』

shibata1Vol.3柴田 英利 氏
ルネサス エレクトロニクス株式会社
執行役員常務 兼CFO 兼 企画本部長

2010年、NECエレクトロニクスとルネサステクノロジの統合新会社として設立された、ルネサス エレクトロニクス株式会社。大手半導体メーカーとして、日本から世界に向けた半導体産業の復興を目指す同社にて、執行役員常務 兼CFO 兼 企画本部長として辣腕をふるっていらっしゃるのが、柴田英利氏です。アクシアムと柴田氏との出会いは1999年。ハーバード・ビジネススクールへのご留学中にお会いし、卒業後のキャリア構築についてお手伝いをさせていただきました。それから17年。マネジメントとして大企業を率いておられる柴田氏に、当時からの担当キャリアコンサルタントである渡邊光章が、現在のお仕事、転職、キャリアなど、様々なお話を伺いました。

投資責任者の立場から、退路を断って参画

渡邊:ご無沙汰しております。ご活躍の様子を拝見し、常々嬉しく思っておりました。本日は、キャリア相談をお受けいただいた当時を思い出していただきつつ、柴田さんのキャリアについて色々とお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。まずは、現在のお仕事について教えていただけますか?

柴田氏:こちらこそよろしくお願いします。ルネサスでは、少し乱暴な言い方になりますが、これまで生産を除くほとんど全ての業務に関わらせてもらってきました。勿論、経営管理・経営企画部門が中心にはなりますが、顧客折衝やプライシングなども含め、濃淡はありながらもかなり広範に関与してきました。

渡邊:すごいですね。もともとは、産業革新機構からルネサスに来ておられる、というお立場でしたよね。

柴田氏:はい。ハーバード卒業時に渡邊さんにご紹介いただいたシュローダー・ベンチャーズ(当時)に在籍した後、メリルリンチ日本証券を経て2009年から2013年まで産業革新機構におりました。機構では、ルネサスへの投資責任者の立場でしたので、当初は出向の取締役として関わっていました。2013年からは産業革新機構を離れ、ルネサスの一員としてマネジメントの一角を担わせていただいています。

渡邊:それは思い切った決断をされましたね。いわば退路を断って参画することに、葛藤はありませんでしたか?

shibata4柴田氏:初めは投資する立場でしたので、当然ながら籍を移す考えはありませんでした。ですが、当時のCEOから「一緒にやってくれ」と何度かお話をいただいたのがきっかけで、どうせ仕事をするなら外部に籍を置く立場ではなく、やはり内部の一員としてすべきだろう、そうでなければルネサスの社員から本当には信頼されないだろうと思うようになりました。そう考えるようになってからは、迷いはなかったです。

渡邊:そこから3年を経られて、その選択が正しかったと思われますか?

柴田氏:こういう経験は初めてでしたし、比較対象がないので何ともいえませんが…自分の中ではmuch betterの選択だったと思っています。

価値観を揺さぶられた、MBA留学

渡邊:柴田さんは大学の工学部を卒業された後、JR東海でAIソフトウエアの開発を手がけられていました。そして20代でハーバードへ留学されます。MBA留学で得られたもの、変化があったことは何ですか?

柴田氏:MBA留学は、私の職業人生に対する価値観が大きく変わるきっかけになりました。ビジネススクールという場で、世界中から来た優秀な仲間に囲まれ、「自分のキャリアは自分で創る」という考えに接したことはとても大きかったです。

渡邊:それまで、プロアクティブにキャリアを考えることはなかったと?

柴田氏:はい。この経験がなかったら、自分のキャリアについて自立的に考えることはなかったでしょう。私はごく普通の家庭に育ったドメスティックな人間です。ずっと日本にしか住んだことがありませんでしたし、周りに外国人がいる環境でもありませんでした。それが海外ビジネススクールという環境の中で、色々な国、バックグラウンドを持つ人たちとつながることができた。彼らの生き方を目の当たりにし、良くも悪くも考えさせられること、価値観が変わることが多くありました。卒業後も彼らとの付き合いは続いていますが、今でも考えさせられることが多々あります。

彼らは「自分の人生は自分で創る」という意識が非常に強い。その自由な発想はビジネスに限らず、例えば「結婚して子供が生まれたから、子育てがしやすいノルウェーに住もう」など、住む場所からしてとても柔軟に考え、選択しています。その点、日本は人生や生き方に対するステレオタイプがとても強い気がします。大学を卒業して銀行に就職したらずっと金融、メーカーに入ったらずっとメーカーだ、など。そんなステレオタイプをとっぱらって、自由に職業人生、生き方を考えてみることを彼らに教えてもらいました。

渡邊:学校のプログラムで役立っているもの、印象に残っているものはありますか?

柴田氏:何のためにするのかよく分からなかったようなことが、じつは今、実際に企業経営に携わる立場になって役立っている気がします。例えばケーススタディの中で、不整合なデータをたくさん見つけたとする。そんな不完全な状況の中でも、右に行くのか左に行くのかといった大きな判断を下す訓練をします。当時は何の意味があるのだろうと思いながら学んでいましたが、今の仕事はまさにそれをやっているんです。ですから、十数年経って今やっと「そういうことなのか」と当時の授業に腹落ちしています。

PEへのキャリアチェンジは“人”が決め手に

渡邊:私は柴田さんのご留学中に、キャリアコンサルティングを担当させていただきました。当時、エンジニア畑の優秀な方々にもっとビジネスそのものを科学してほしい、MBA留学をしてほしい、そんな人材がきっと今後の日本を牽引すると個人的に考えており、柴田さんのことは強く印象に残っています。やっとそのような人が出てきたなと。

あの頃の日本のベンチャーはまだまだキャピタルを使えておらず、日本の産業を活性化するためにもエンジニアやサイエンティストがMBAを取得し、キャピタルで活躍してほしいと考えていました。そこでご卒業後の進路として、シュローダー・ベンチャーズをご紹介させていただいたのですが、進路の決め手は何でしたか? 留学前にいらした会社へ戻る選択もあったと思うのですが。

shibata5柴田氏:そうですね。元の会社でも面白い仕事をさせていただいていましたので、戻ることも考えました。一緒に働いていた方々が大好きでしたし、居心地は良く業績も好調でした。ですがそれゆえ、一度戻ると二度と外へ出てチャレンジする気持ちになれないのではと思いました。1回しかない人生…順調に収まりよく生きるより、すべったりころんだりしたとしても、どうせなら“挑戦する人生”を生きてみたいと思ったんです。

複数のオファーの中でシュローダー・ベンチャーズを選んだのは、すごく単純なのですが、メンバーの方々にお会いしてそこにいる人たちが好きになったから。「この人たちと一緒に仕事ができるなら面白そうだ」と思いました。渡邊さんがキャリアコンサルティングの中で「結局“人”だよ」とおっしゃっていたのにも背中を押されましたね。それから、たまたま当時はプライベートエクイティの黎明期であり、「この少人数で組織やビジネスを創っていくんだ!」という勢いがあって魅力的に感じました。

30代から取締役に。経営に必要なものは?

渡邊:柴田さんは30代前半から、様々な企業で取締役などのマネジメント職を経験されていらっしゃいます。若くしてマネジメントの一角を担われて、大変ではありませんでしたか?

柴田氏:大変だと感じたことはありません。私はそういう仕事に興味があるし、むいていると思って努力してきましたので。逆にいま、私が経理部門のいち担当者になっても、たぶんまったく使えないです。私は会社全体がどのような方向に進むべきなのか、といったことに関心があり、それについて考えるところに面白みを感じるのです。人は興味さえあえれば、自ら勉強もするし、考え、努力もする。役割分担なのだと思います。

渡邊:なるほど。しかしながら、経営には大きな責任が伴いますよね。そのような責任を果たすために必要なもの、身につけておくべきものは何だとお考えですか?

柴田氏:性格・強みがそれぞれあるように、やり方も人それぞれだとは思いますが…例えば国のトップには、その経験のない人がなることがほとんどです。それでも皆トップとして職務を果たしていく。だからマネジメントの経験そのものよりも、ベーシックな知識、物事に対する判断力、情報が与えられたときに鵜呑みにせず、自分なりの光を当てられる力、つねに自分なりの考えを整理していこうとする姿勢、といったプリミティブなものが大事なのではないでしょうか。これらの能力には年齢は関係ありません。

shibata6その一方で、経験を重ねることで磨かれるものも経営には必要でしょう。会社規模などのステージ、ステークが大きくなってチャレンジが大きくなった時に、いかに冷静でいられるか。大きなものを失うかもしれない場面に遭遇した時に、耐えられる精神力があるか。これらには、いわゆる修羅場の経験が役立ち、徐々に身についていくのだと思います。

それから、人を上手く動かす力も経験によって培われるところが大きいです。人は千差万別ですし、誰かがやって上手くいった方法を自分も真似すれば上手くできるというものでもない。ですから経験の中で「自分ならこうすれば、上手く人に動いてもらえる」という方法論を積み上げていくしかないのでしょう。

渡邊:これまでのキャリアの中で、ご自身が一番成長したと思われるご経験は何ですか?

柴田氏:そうですね…ルネサスに投資するか否かの決断を下した時でしょうか。あの時はシリアスに、しびれるほど考えました。自分の判断で1400億円ものお金が動きますし、それによって多くの人の人生に少なからず影響も及ぼしてしまう。眠れぬ夜を何日も過ごしました。非常に重たかったですが、それでも考え抜いて判断をしたという経験は、自分の糧になっていると思います。

渡邊:最後に、柴田さんご自身の今後のキャリア展望や目論見をお聞かせいただけますか?

柴田氏:漠然とした答えになってしまいますが、自分の中に2つの方向性があり、揺れていますね。ひとつは、社会に対して一定のインパクトがある仕事をしたい、そういう存在でありたいというもの。もうひとつは、自分個人の与える影響がダイレクトで大きいような、規模の限られた組織で何事かをやってみたいということです。

現在のルネサスのような、一定以上の大きな組織で仕事をすると、大きなリソースをレバレッジしながら仕事をすることができます。結果として、社会に与えるインパクト、影響を与えられる人数は大きなものになり、大きな責任感と同時にやりがいを感じることができます。しかし、大きな組織になれば、どうしても仕事の手触り感のようなものは薄れていってしまう気がします。ですからもう少し小さい所帯、メンバーの顔と名前が全部わかっているような規模感で、一緒に何かを創っていける仕事も面白いんじゃないか、と考えています。それは日本からもっと新しいビジネスや、それを生みだす会社が世界に出ていければいいなという、元々持っていた思いにつながるものでもあります。

渡邊:なるほど。まだまだ柴田さんのキャリアは大きく展開していきそうですね。本日は本当にありがとうございました。これからも経営者としてご活躍されること、また柴田さんご自身の職業人生が益々充実されることを願っております。

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Profile

柴田 英利 氏
ルネサス エレクトロニクス株式会社 執行役員常務 兼CFO 兼 企画本部長
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大学卒業後、東海旅客鉄道(JR東海)に入社。収益向上、経費削減を目的としたAIソフトウエアの開発等に携わる。1999年、米国ハーバード・ビジネススクールに留学し、2001年にMBAを取得。卒業後はシュローダー・ベンチャーズにて様々な案件のストラクチャリング業務・再生支援などに従事。その後、メリルリンチ日本証券のマネージングディレクター(グローバルプライベートエクイティ)、産業革新機構の投資事業グループ執行役員として活躍。現在、ルネサス エレクトロニクス株式会社の執行役員常務 兼CFO 兼 企画本部長として同社の改革を牽引している。
東京大学工学部卒、ハーバード大学経営大学院修士課程修了(MBA)

インタビュアー/担当キャリアコンサルタント
渡邊 光章
株式会社アクシアム
 代表取締役社長・キャリアコンサルタント
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留学カウンセラーを経て、エグゼクティブサーチのコンサルタントとなる。1993年に株式会社アクシアムを創業。MBAホルダーなどハイエンドの人材に関するキャリアコンサルティングを得意とする。社会的使命感と倫理観を備えた人材育成を支援する活動に力を入れ、大学生のインターンシップ、キャリア開発をテーマにした講演活動など多数。
大阪府立大学農学部生物コース卒、コーネル大学 Human Resource修了
1997年~1999年、民営人材紹介事業協議会理事
1998年~2002年、在日米国商工会議所(ACCJ)人的資源マネージメント委員会副委員長
著書『転職しかできない人展職までできる人』(日経人材情報)