転職コラムキャリアに効く一冊

キャリア開発に役立つ書籍を毎月ご紹介しています。

2016年6月

中空構造日本の深層/こころの処方箋
河合隼雄(著)

今月は、ユング派心理学の第一人者であり、京都大学名誉教授、文化庁長官を務められた臨床心理学者、河合隼雄氏の代表作2冊をご紹介します。

昨今、リーダー論やリーダーシップ論が盛んですが、それらの論を聞くたびに、日本社会のリーダーと欧米社会のリーダーではその在り方が違うのではないか、文化も歴史も違うのだからそもそも求められるものが異なるのではないか、と疑問に思い再読したのが一冊目の『中空構造日本の深層』です。そして、この本をご紹介するにあたり、ぜひ同時に読んでいただきたいものとして、二冊目の『こころの処方箋』も挙げさせていただきました。どちらも20年以上前に書かれたものですが、非常に面白い良書です。

まず、『中空構造日本の深層』の中で河合氏は、日本における父性の弱さと、日本社会の中心にある“空(くう)”を指摘。その中空に、欧米型の父性を安易に持ち込むことへの警鐘を鳴らしています。もともと日本社会には復権すべき父権などない、わが国は心理的には母性優位の国であり、欧米の父性社会とは対照的であるというのです。つまり、個人の個性や自己主張を重視するよりは、全体としての場の調和や平衡状態の維持を重要視する社会であると主張します。そのような日本の特異性について、氏は以下のように説明しています。

母性はすべてのものを全体として包みこむ機能をもつのに対して、父性は物事を切断し分離してゆく機能をもっている。ヨーロッパにおける父性の優位は、人間が自己を他の事象から分離し、対象化して観察する能力を人間にもたらし、それが自然科学の知へと発展していった。そして自然科学を中核とする西洋近代の特異な文化は、世界を支配することになった。そのとき、アジア、アフリカの諸国のなかで日本のみが、ヨーロッパの近代文明の取り入れに成功したが、それは完全な西洋化を意味しているものではなかった。欧米諸国が現在体験しつつある多くの行きづまりは、彼らがあまりにも父性の優位を誇り過ぎ、母性を断ち切りすぎたからであるという見方も可能である。
 

日本は母性優位と言うよりは、父性と母性のバランスの上に築かれていると言うほうがより妥当のように思われる。
 
ある組織内における長の役割、その在り方などについて考えてみると、西洋の場合は、それは文字どおりのリーダーとして、自らの力によって全体を統率し、導いてゆくものである。これに対して、日本の場合の長は、リーダーと言うよりはむしろ世話役と言うべきであり、自らの力の頼るのではなく、全体のバランスをはかることが大切であり、必ずしも力や権威をもつ必要がないのである。
 
日本の中空均衡型モデルでは、相対立するものや矛盾するものを敢えて排除せず、共存し得る可能性をもつのである。
 
中心に空を保つとき、両者は適当な位置においてバランスを得て共存することになるのである。

日本社会の中心にいるリーダーが、勇ましい誤った父性をふるうことは、母性優位の日本社会においては真性の父性ではない…日本が自身の中空構造に気付かず、空なる中心に欧米的父性原理を持ち込もうとすることに、80年代から気づき、危機感を持っていた慧眼には驚かされました。

つぎに河合氏は、日本の神話から大胆に日本の中空構造を説明します。「古事記」の3つの物語に登場する神々の中で、それぞれ右と左の神(下記参照)は対立を表し、それぞれの神には活躍の物語があるが、その真ん中の神、すなわち「アメノミナカヌシ」「ツクヨミ」「ホスセリノミコト」については、ほとんど何を行ったか述べられていないと指摘。中庸、バランス、調和を重んじる日本人のルーツがここに…というような単純なロジックではありませんが、対立するものを排除しない、あるいは激突しないために、真ん中が調整するのではなく真ん中が「空」すなわち「無」なのだと考察するのです。

古事記に出てくる神々
●第一の三神
タカミムスヒ・アメノミナカヌシ・カミムスヒ
●第二の三神 ※イザナキとイザナミが生んだ三貴神
アマテラス・ツクヨミ・スサノオ
●第三の三神 ※天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが生んだ三神
海幸彦ことホデリノミコト・ホスセリノミコト・山幸彦ことホヲリノミコト

私たちが脈々と抱えるこのような特異性を意識したうえで、リーダーやリーダーシップというものを考えるとき、新たに見えてくるものがあるのではないか、と再読して改めて感じました。

また、本書の中で河合氏は、日本人の深層にある精神性を昔話、民話、マンガなどから紐解こうともしています。そのあたりは臨床心理学者である氏ならでは論が展開され、非常に面白い内容。フロイト心理学とユング心理学についてわかりやすく解説しつつ、日本文化と欧米文化の違いを見事に切り取って見せてくれます。中でも、日本のマンガや劇画を題材にした考察の部分で、ユングの「普遍的無意識」などの心理学を使って、青年期の感性や自我の確立を説明しているくだりは、一読の価値があります。IT化やグローバル化によって日本の文化がどうなってしまうのか、その懸念に対するヒントがあるような気がしました。

それから、ユング心理学を使った論考のなかで、キャリアについて考える際に大いに参考になる部分がありました。ユング心理学では、人間の心理機能は「思考」と「感情」、「感覚」と「直観」の4つに分類できるとされ、物事を考える機能が「思考」、好き嫌いや善悪を判断する機能が「感情」、五感を使ってものを把握する機能が「感覚」、ものの属性を超えた可能性を把握する機能が「直観」であると規定されています。

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キャリア論の多くでは、「直観」と対峙するものは「思考」や「論理」とされ、「感覚」を対峙するものとしている論は見当たらない気がします。「思考」と「感情」、「感覚」と「直観」。私たちはこれらをごちゃ混ぜにして、キャリアの選択をしていないでしょうか? 自分の未熟な「直観」で本当に属性を超えた可能性の判断ができているか、正確に磨き上げた「感覚」を持ち合わせているか、自身の「感情」の強さと同等の力を持つ「思考」を持っているだろうか…。ぜひ一度、河合氏のユング論に接してみてほしいと思います。

さて、河合氏には、もう一冊の名著『こころの処方箋』があります。本書は、普段私たちがこころのどこかでは納得しているが、なかなか言葉にできないような“常識”を55の言葉につむぎ、エッセイとしてまとめたもの。心に刺さる言葉は、読者の年齢や状況によってまちまちだと思いますが、たとえば以下のようなタイトルが並んでいます。

#1 人の心などわかるはずがない
#3 100%正しい忠告はまず役に立たない
#7 日本人としての自覚が国際性を高める
#14 やりたいことは、まずやってみる
#16 心の中の勝負は51対49のことが多い
#20 人間理解は命がけの仕事である
#21 ものごとは努力によって解決しない
#32 うそは常備薬 真実は劇薬
#38 心の支えがたましいの重荷になる
#42 日本的民主主義は創造の芽をつみやすい
#43 家族関係の仕事は大事業である
#52 精神的なものが精神を覆い隠す
#54 「幸福」になるためには断念が必要である

どの章にも丁寧な説明がなされていて、あたかも臨床心理の先生からカウンセリングを受けているかのよう。困った時には大いに救いになりそうな言葉がちりばめられています。ちなみに私が最も印象に残ったのは、第15章です。

#15 一番生じやすいのは180度の変化である

多くの方のキャリア相談をしていて思うことは、成功する人は徐々に変化するのではなく、自ら劇的に変化する場合が多いということ。外的要因によって劇的に変化することは誰にでもあると思いますが、自らの意思で劇的な変化ができる人はそう多くはありません。会社を変わる、海外に留学するなど、環境を変えているだけに思われる場合も、環境を変えることで意外な自分を発見し、180度の劇的変化を遂げることが成功者の共通点のように思うのです。

人生の大事な決定に際し、「思考」の機能を限界まで高めて考え抜いたすえに、「直観」が機能してくれる時がある。ここでいう「直観」は「感情」ではありません。善悪や信条、好き嫌いなどの「感情」で決める方もいらっしゃいますが、その場合、「思考」とは相容れない選択であることが多く、結果としてその後、苦労されることが多い気がします。

あらためて、皆さん。ご自身の「思考」と「感情」、「直観」と「感覚」に向かいあってはどうでしょうか。そして、自ら劇的な変化をとげるチャンスが到来したなら、勇気をもって踏み出していただきたいと思います。