転職コラムキャリアに効く一冊

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2012年8月

プリンシプルのない日本
白洲 次郎(著)

本書は、海外留学やグローバルなキャリアを考えている人にとって必読の書であると言って過言ではありません。

少し個人的な話になりますが、私は1980年に大阪府立大学を卒業した後、英語が嫌いな学生であったにもかかわらず、海外の大学・大学院進学を支援する留学カウンセラーの仕事に就くことになりました。私は英語が嫌いなだけでなく留学の経験がなかったので、なんとかして「海外で学ぶ」という事について知識を得ようと、急ぎ書店へ行き、棚にある留学経験者の体験記なるものを全て買い求め、読みあさりました。

先ず、海外留学をした日本の偉人に注目をして、昭和のMBA留学者や経営者、数学者、法学者、哲学者、医学者、そして明治の時代に留学した新渡戸稲造から内村鑑三、福沢諭吉、果ては遣唐使第一船の空海に至るまで、著名な日本の偉人の伝記や書を読みました。続いて海外のフォード、スタンフォード、カーネギー、JPモルガン、エジソン、アインシュタイン、ケネディー、デュポン家、ロスチャイルド家など、アメリカや欧州の偉人や経営者、資産家などの本を次から次へと読みました(残念ながら日本語で)。読み進めていくうちに、「海外で学ぶ」という事について知る、という当初の目論見は一転して、日本であれ世界であれ「世に名を残した人達、成功した人達の人生について学ぶ」ようになってゆきました。それが今の私のキャリアコンサルタントとしての基盤になるとは当時は思ってもいませんでした。振り返ってみると、私自身、キャリアデザインができていなかったと言えます。

さて、このように80年代前半に沢山の留学経験者の著書や伝記を読んだ訳ですが、その中で私が最も感銘を受けた人物が、本書の著者、芦屋出身でケンブリッジ大学に留学した白洲次郎です。彼の言葉、精神、生き様、そのすべてが私の憧れだったと言っても良いかも知れません。当時、白洲はまだ存命で、三宅一生などのファッションショーに出演したり、ナローポルシェに乗ったりと、兎に角、かっこ良く、もし講演などを聴く機会があれば、ぜひとも行ってみたい、可能ならば会ってみたいと切望していましたが、残念ながら白洲は1985年に永眠し、私の願いは叶いませんでした。今思えば、飛び込んでいってでも会いに行くべきだったと反省しています。その後、2001年に白洲次郎の直言集が発行されました。すでに白洲次郎のことをご存じの方も多いので詳細は割愛しますが、1902年生まれの白洲は1919年から1927年まで英国留学をしています。帰国後、戦後のGHQ占領下で新憲法の設定に大きく関わり、後には東北電力会長、SGウォーバーグ証券の顧問などを歴任しました。今の時代では、彼と同じような人生を歩める人はいないでしょう。でも、時代や形は違っても、日本に貢献できる日本人は必ず出てきます。

以下、本書「プリンシプルのない日本」に書かれた白洲次郎の言葉ですが、今の時代にも当てはまります。白洲の言葉ひとつひとつが我々現代人の心に響き、日本がまるで変わってないことを思い知らされます。白洲は「プリンシプルのない日本」と言っていますが、「日本にはプリンシプルがない」とは言っていません。幸い、日本にはプリンシプルを持つことができる余地や希望があるように思います。

以下、現文どおり (章のタイトル pp.所在ページ)

  • プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。日本も、ますます国際社会の一員となり、我々もますます外国人との接触が多くなる。西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりとしていることは絶対に必要である。日本も明治維新前までの武士階級等は、総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたきこまれたものらしい。(中略)日本語でいう「筋を通す」というのは、ややこのプリンシプル基準に似ているらしいが、筋を通したとかいってやんや喝采しているのは馬鹿げているとしか考えられない。あたり前のことをしてそれがさも希少であるように書きたてられるのは、平常行動にプリンシプルがないとの証明としか受取れない。何でもかんでも一つのことを固執しろというのではない。妥協もいいだろうし、また必要なことも往々ある。しかしプリンシプルのない妥協は妥協でなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎないのだと考える。日本人と議論をしていると、その議論のプリンシプルはどこにあるのかわからなくなることがしばしばある。それは私の理解力の低さだけではないらしい。こういう議論をいくらしても西洋人はピンとこないだろう。これが激論にでもなって喧嘩別れというような結果になれば、彼らはほんとにおこるだろう。日本人側には何の悪意もなかったのにこういう不幸な結果になった西洋人との対談を数多く私は知っている。(プリンシプルのない日本 pp.203、205-206)
  • 私が参議院の権限を制限縮小すべきと信ずる所以は、解散の対象になり得ない国会の一部が、衆議院と殆ど同様な権限を持つことは、二院制ということから考えて見て無意味だと思うからだ。(政府の解散権大いに結構 pp.77)
  • アメリカ式に云うと如何にもビッグビジネスが政治を牛耳っている様な印象を国民に与えたと思うのは私だけではあるまい。金権政治なんてよくいわれるが、ああいうものを読んでいると金権政治なんて、うそでもなさそうな気がしてくる。如何にも政治に不満はあるが、経済人はもっともっと自己反省してみても悪くはなかろう。やれ補助金だ、やれ割当だと、こまってくるとすぐに政府になんとかしてくれと泣きつく乞食根性は、もうやめてもらいたいものだ。(腹の立ちっぱなし pp.189-190)
  • (1951年)僕はこの五月一日から、電力会社に関係することになった〔東北電力会長に就任〕のだけれども、電気料金の値上をしようというと、一般の人が反対する。これは、今までの電気業者の経営の方法に対して、一般の消費者大衆が持っていた不満が一ぺんに出て来た。これは無理もないことである。ところで何かというとすぐに、公益事業と云うのだが、僕は、電気事業というものに二つの面があると思う。家庭用電気に関しては、電気事業は当然公益事業であって、単に営利的の立場から考えるべきでない。だが、大口の需用者に対しては、あくまでも営利事業であるべきだ。(中略)殊更に公益事業公益事業と言う消費者の態度にも行過ぎたところがある。一種の慈善事業みたいに思ってる。だけどとにかく消費者の行過ぎた態度を是正する必要があるならば、その前に電気会社が今までのやり方を反省すべきだというのが僕の持論だ。(電力会社 pp.22-23)
  • 将来の日本が生きて行くに大切なことは、全部なら一番いいのだが、なるべく多くの人が、日本の国の行き方ということを、国際的に非常に敏感になって考えて行くことだ。今度は、自己中心の考え方をしたら一ぺんに潰されてしまう。(中略)ところでこの国際感覚という問題だが、日本は北欧の人みたいに、地理的の条件に恵まれていないから、これを養成するにはやはり勉強するより他にしょうがない。意識的に、日本というものは、世界の国の一国であるということを考えるように教育することだ。昔の教育勅語のようにそれをしつこく頭に入れることだ。そういう方法で、或る程度出来る。(日本人気質あれこれ pp.25)
  • 六三制の教育の問題でも、(中略)ああいう六三制をやれといって勧告したアメリカ人の気持というものは、制度としていいからやりなさいと言ったに違いない。しかしこの場合、制度としていいのはいい、いつかやりますが今はやれませんということを具体的に説明し得なかったということは、一つの非常な失敗だ。そしてあの時代の文部省の人で、われわれは六三制に反対したのだと盛んに言ってる人がいるけれども、それならそういうことに対して、責任をもって、やれないからやめますといった人を聞いたことがない。これは日本の昔からの、泣く子と地頭には勝たれぬという、東洋的な事大主義の現われなのである。経済人の自己陶酔もさるものだが、同じようなことが今の日本の文士にもありはしないか?僕はそういう人の本を読んでみて感心することが、唯一つだけある。それは自分が非常に自己陶酔をしていて、自分のその自己陶酔をそのまま読者に鵜呑みさせるという技術を持っていること、その点だけは偉いものだ。(日本人気質あれこれ pp.26)
  • この頃はコスト高の為に輸出不振が否でも応でも事実となって現れて来た。(中略)どんなことをやるにしても根本の精神に於いて守り通すべきことは、
      一、コストが国際水準又は以下になり得る可能性の無い産業は止めること。
      二、最も有利で適当な産業(今から始める新産業も含む)に集中すること。

    (二度と造りたくない「国防国家」 pp.122)

  • 昔の塾は塾生が塾長よりものを教わること以外に、塾長の私生活に日夜ふれてその影響を享けたことが甚大であったに違いない。(新生活運動と時代感覚 pp. 65)
プリンシプルのない日本 出版社:メディア総合研究所
著者:白洲 次郎(著)