転職コラム転職市場の明日をよめ

四半期ごとにお届けする転職市場動向。アクシアム代表・キャリアコンサルタントの渡邊光章が、日々感じる潮流を独自の視点で分析しています。

1999年 10月~12月 
1999.10.01

1999年から2000年に向けて

ITサービス業を中心に少し状況が良くなってきました。ITサービス業により創り出される雇用数と、削減される雇用数は、若干削減の方が多いとされますが、人材の需要の主な職種のイメージは、コールセンターやサポートといった職種です。この職種における人材は問題なく確保できますが、問題は中核となる人材です。今までの工業社会が育ててきたスキルでは、残念ながら新たな産業の中核となる人材はほとんど育っていません。再就職のための再訓練では、今までと違う質、大きさのIT化の波を乗り超えられません。全体として必要とされる数を満たす人材は、日本において限りなく不足しているとしか言いようがありません。その理由として、外国人に排他的であること、教育の問題等など理由は限りなく挙げられます。切実な問題として具体的に市場が求めている人材は次のような人材です。

ネットワークに関連した質の高いエンジニア、マーケティング、コンプライアンス、そしてマネジメントの4種類のキャリアのコンピテンスをもった人材がこれからさらに需要が高まってゆきます。

「2000年、次の世紀にどんな人生を歩むか?」それぞれが真剣に考えるタイミングがきました。以前にはあまり考えられなかったようなキャリアを展開する人が出てくるようになりました。市場の変化、時代の変化の指標となるケースが生まれ始めています。その変化の証拠とも言えるものをここで少しご紹介しましょう。過去50年間で絶対に起こらなかったような変化です。全体が変わるのではなく、個から日本が変わりつつあることを知ってもらえれば幸いです。次の世紀に向かって、資本はすでにコンピテンスをもった人に動き始めています。

【ケース1】

30代前半男性、MBA 大学院卒業時に、日本のベンチャー企業からストックオプションも合わせて合計2100万円(年俸1500万円)以上という、今までの日本のベンチャー企業では考えられないような高い評価とプライスを得ました。企業も個人も時価総額が重視されるようになってきました。

【ケース2】

40代女性、短大卒 ベンチャー企業経験15年以上の方が、高学歴・大手企業経験者候補が競う厳しい選考に勝ち残り、著名外資系メーカー部長に就任しました。進んだ企業では実力とコンピテンスが正しく評価されるようになりました。

【ケース3】

30代前半男性、MBA外資系マーケティングマネジャーである彼は、急成長中のベンチャー企業に展職しました。昇進も決まっていたマーケティング職から報酬を下げても挑戦したかったのが、経営者、企業家へのキャリアです。展望をもって展職した彼の活躍は、すでに入社先ベンチャー企業内で有名です。

【ケース4】

30代後半男性、MBA頭取候補と呼ばれていた方が大手日本の銀行から、外資系投資銀行に年俸を減額して展職。経営の中枢とよばれる部門にいるだけではコンピテンスと呼べないため、コンピテンスを獲得するために展職されました。同僚達が驚嘆している中、彼の意志決定が正しかったことが証明されるのはそんなに先の話ではないでしょう。

【ケース5】

20代後半男性、海外大学卒 言語学を専攻してきた方が、外資系企業の日本代表、メディア関連会社の事業部長を勤めた後にベンチャー企業に就職。入社時の報酬は前職の約半額でしたが、自身のコア・コンピテンスを考えて展職。経営陣の見込みどおり、彼は新規事業立ち上げをすでに成功させ、自身のキャリアを確実なものとしつつあります。

【ケース6】

30代前半男性、MBA卒業時に外資系金融機関に内定していたが、卒業直前で日本のベンチャー企業に事業開発責任者として就職しました。外資系よりも高い報酬を獲得しただけでなく、何より経営のトップに近いところでキャリアを積み、経営者を目指せる環境を選びました。

【ケース7】

30代前半男性、MBA外資系戦略コンサルタント会社から、ベンチャー企業に幹部候補として展職。ご自分が描いていたビジネスモデルがそこにあったことも勿論ですが、半分近くになる報酬も、自らがリードして店頭公開を果たすわけで、公開後得られる報酬を考えれば当然の選択です。自分次第というのが、やりがいなのです。

【ケース8】

40代後半男性、大学卒ベンチャー企業営業課長から、別のベンチャー企業部長へと展職しました。ベースの報酬は150%となり、ワラント部分を加味すると200%となりました。展職後、旧来の顧客をを頼らずに、入社3日目にして大型契約を取り付け実績を出し周囲を驚かせています。前の会社でやりたくてもできなかった売り方が、次の会社では可能だという考えがあってこその展職の成果です。バブルの時期に多かった、単にお客さんを持って転職するだけでは、本質を問う時代には通じなくなってきています。

【ケース9】

30代男性、化学系大学院卒エンジニア 開発エンジニアから品質保証のアドミニストレーションのキャリアに変更。まったく職種は違いますが、品質を追いかける姿勢、化学の知識がコンピテンスとなる展職です。2年間もキャリアデザインを考えた末に実行し、デザインが実現しただけでなく、偶然ながら長期治療にあたっていた病の完治も重なり、二重の喜びとなりました。

【ケース10】

40代男性、海外大学卒 外資系コンサルタント会社マネジャーから、外資系金融機関ディレクターへ展職しました。40代はそれなりの事業経営能力が問われます。部下の管理能力や経験は当然ですが、デイレクターになれるかどうかの分かれ目は、新規性の高い市場にいたかどうかです。新規性のある市場にいる40代の価値は、衰退したり縮小している市場にいる40代の価値に比べて、反比例的に価値が高まっています。

如何がでしょうか?これらのことから、次のようなことが見えてきませんか?

  1. 日本の大手企業から、ベンチャー企業や外資系企業に移れる人が少なくなっています。コンピテンス(競争優位性)を必要とする外資系やベンチャー企業では、大企業に所属したということだけでは価値を見い出してくれません。
  2. ベンチャーや外資系の企業においては、個がコンピテンスをもっている場合、展望をもって展開することができます。外資から外資、外資からベンチャー、ベンチャーから外資といった展開です。
  3. 資本が動き始めた時、自分から市場で動けるようにするには、他の人と違った資質、考え方、技術、経歴をもっておくことです。それらが、競争状態にある市場で確実に生き残るコンピテンスとよべるものであれば、どんどん成功の可能性は高まります。
  4. キャリアプランとは、キャリアトラックを選ぶ、あるいは選ばれることではありません。キャリアメイクは、その字のとおり自分でキャリアを創る感覚に近いものです。ジョブマーケットが厳しくなってくればくるほど、自己のもつ価値感そのものがコンピテンスとなります。コンピテンスと展望の両方をもっていれば、時代の変化に対して逞しく次のキャリアを展開できるようになってきた、ということをこれらのケースから読み取っていただければ幸いです。

関連情報

コンサルタント

渡邊 光章

株式会社アクシアム 
代表取締役社長/エグゼクティブ・コンサルタント

渡邊 光章

留学カウンセラーを経て、エグゼクティブサーチのコンサルタントとなる。1993年に株式会社アクシアムを創業。MBAホルダーなどハイエンドの人材に関するキャリアコンサルティングを得意とする。社会的使命感と倫理観を備えた人材育成を支援する活動に力を入れ、大学生のインターンシップ、キャリア開発をテーマにした講演活動など多数。
大阪府立大学農学部生物コース卒、コーネル大学 Human Resource修了
1997年~1999年、民営人材紹介事業協議会理事
1998年~2002年、在日米国商工会議所(ACCJ)人的資源マネージメント委員会副委員長
著書『転職しかできない人展職までできる人』(日経人材情報)