転職コラム転職市場の明日をよめ

四半期ごとにお届けする転職市場動向。アクシアム代表・キャリアコンサルタントの渡邊光章が、日々感じる潮流を独自の視点で分析しています。

2019年10月~12月 
2019.10.03

20代・30代の意識変化~GDP低迷期を乗り越えるために~

日本の実質GDPは、2000年に約464兆円であったものが、2018年には約535兆円となり、2019年4月~6月期(2次速報)において約540兆円となり、2000年のおおよそ1.16倍となりました。
※内閣府:2019年4~6月期四半期別GDP速報(2次速報値)

では他国と比べてこの20年近くどのような軌跡をたどったのでしょうか。2000年当時の主要8ヵ国の実質GDPを1.0とし、現在のGDPは何倍になっているのかを指標化した図が下記です。中国は約4.5倍、インドは約3倍、ロシアは約1.7倍で、それ以下は皆1.5倍にも満たず、日本は約1.15倍という結果でほぼ横ばいでした。つまり20年近く、日本は大きく成長できなかったということが、改めて実感できます。

※データ出典元:国連/作表:アクシアム

2000年以降に社会人になった人たちは、このような経済変化の中でキャリアを積んできました。2000年に大学を卒業された方の多くは、現在40代前半。その方々より下の世代である20~30代の人たちは当然、戦後から続いた成長もバブル期の熱狂も体感はないわけです。

若い世代の中には、多くのやる気に溢れた人、ガッツを持っている人、高い目標を掲げている人がいます。しかしながら、日本で育った人材と海外で育った人材、もっと有り体に述べるなら、日本人の若者とインドや中国の若者とを比べると、やはり圧倒的に目的意識の高さ、目標の高さの違いを日々のコンサルティングの中で感じることがあります。

「自分の年収をどうしたいか?」など数的な目標をたずねると、インドや中国から日本に来た彼らは、今の年収を10年後には5倍にも10倍にもしたいと答えます。まるで彼らが見てきた自国のGDP成長の軌跡を、自分の未来のキャリア設計に重ね合わせるように話をすることが多いのです。くわえて彼らは、自らが激しい競争にさらされていることを理解しています。

これから先、どのような人生の坂を登っていくつもりなのかといえば、日本の若者は傾斜10度の坂道を避け、5度以下の道を探しているのに比べ、インドや中国の若者は30度もの急な坂道を登り、体力や知力を鍛え、山もあれば谷もある先を越えていかなければ、高い山に登れないという覚悟がある・・・というように例えられるかもしれません。成長への意欲と覚悟の違いなのだと思います。

日本人同士で話をしていて、もし自分の報酬を5倍にしたいと言えば、周囲の人から「現実離れしている」あるいは「仕事にはお金以外の意味がある」などと諭されるかもしれません。また「お金に汚い」と評されてしまう可能性さえあります。

私は海外の若者に比べて、日本の若者に意欲がないと批判しているのではありません。どちらの意見にも反対はしませんし、異論はありません。他人の意見はあくまで他人の意見であり、善し悪しの問題ではないと思っています。

しかし、労働市場ではホワイトカラーでもブルーカラーにおいても急速にオープン化が進み、市場は変わりつつあります。労働市場がオープンになるということは、目標を高く持ち意欲的に働く人であれば、国籍いかんにかかわらずチャンスをつかめるということです。特に、そのようなオープンな環境下で大きく成長できるのが、20代・30代の特典です。ですから、ただただ若い世代の方々に、ご自身の今の価値に気づいてほしいのです。

誤解のないように申し上げると、単に年収を上げていくことが良いと言っているのではありません。若い世代の方には、ときには年収を下げて谷を越え、次の山を目指すことも必要であることを知ってほしいと思っています。また一方で、傾斜の激しい山を登る準備をしっかり整えて挑戦をし、高い報酬を獲得することも目指してほしいと考えています。

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現在、20~30代の人材を対象とした求人は非常に多いわけですが、その年齢層の方々に対してキャリアについて語る世代は、私も含め“旧世代”です。求人の中には、今後、衰退していくであろう業界・産業・企業・職種が混じっており、玉石混淆の状態です。

2000年以降の産業社会を振り返ると、かつて栄華を誇った鉄鋼や造船の衰退が起き、バブル崩壊後に銀行や商社が苦戦、今は電力、自動車、家電業界などの一部に陰りが見えています。一方、「第5次産業革命」や「Society5.0」と呼ばれる技術と産業の変遷の時期がおとずれ、新しい、かつ将来性のある業界・産業・企業・職種が生まれてきています。

しかしながら、ここでも見極めは重要です。新しい産業・企業が生まれた後の難しさは、その継続性です。この先数十年、存続しつづける企業は決して多くはありません。テクノロジーの変遷が加速度的に速くなっているのが2000年以降の特徴です。ベンチャーもスタートアップ時、IPO時、さらに拡大期と、戦略的なコアをどんどん変化させないと生き残れない状況です。

ちなみに最近は、以前の「ベンチャー=低賃金」「地方中小=低賃金」という構図に必ずしも当てはまらない企業が見受けられます。高報酬を提示して優秀な人材が集まりつつあるベンチャーや、地方の歴史ある製造業にもかかわらず、新しい経営者が新しい挑戦を行い、自社の報酬制度と社内の賃金バランスまで変えてしまった企業などです。

また、報酬以外の面でも非常にユニークな企業が生まれてきています。個性的なビジネスモデルや起業家が率いるベンチャーはもちろん、社会貢献を本気でテーマとするベンチャー、世界一をひたすら目指しているベンチャー、博士や教授が創業したベンチャー、創業数年で企業価値が何十億円にも評価されるベンチャー、そしてPEの投資先や外資系の日本新規参入など、いずれも将来性のあるテックやプロダクト、サービスを展開するもので、キャリア選択のひとつとして魅力的であるように思います。

一方、「大企業=安定的」「ベンチャー=挑戦的」というような安易な捉え方も、これからはできません。大企業でもベンチャーでも、変化に対応しなくてはならない点は同じです。資本をうまく使って成長や改革に活かし、いかに変化に立ち向かえるかが、その会社の継続性と面白さを決めるように思います。

最近は大企業が直面している危機を解決するための求人など、大企業でも40代・50代でのキャリア採用が起きるようになってきました。あるいは今まで年功序列に順じた固定的な報酬制度であったのに、それを超えた報酬レンジでの採用をするなど、思い切った手立てを講じる大企業が出てきています。これまでの大企業からベンチャーという流れだけではなく、ベンチャーから大企業という流れも始まっています。

数多ある求人の中で、もし将来のために『変化に強いキャリア』を形成したいと思うのであれば、資本投下を行っている業界・産業・企業・職種を選ぶことをお勧めします。自分の時間を使って働き、賃金報酬を得ることだけを目的とすることや、その年収単位だけを上げることを目的にしているのであれば、このGDP低迷期を乗り越えることは難しいと思います。

社会全体が成長できてない時こそ、しっかりとした未来志向で現実的なキャリアプランを考え、実践すべきです。

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最後に、最近、筆者が20代、30代の方とキャリア相談をしていて、驚きとともに将来の光にも思えたことがありましたので共有させていただきます。

それは、複数の若者から「会社の働き方改革で、ハードワークができなくなった。定時に帰宅することになり、自宅でのPC利用も自動的にトレースされてしまうので使えない。もっと若い今の時期に、濃厚に仕事ができるところ、生産的で将来の礎となるような知識・スキーム・経験を得られるところへ転職したい」という趣旨の相談を受けたことです。「ゆとり世代」「さとり世代」と型にはめて判断することはできないと思いました。

彼らは昔のハードワークのような単なる長時間労働を求めているわけではなく、働かないでも賃金をもらえる上の世代たちへの反発を示しながら、働くスタイルの改革を求めているのでしょう。このように自己成長と会社の成長、あるいは両者の生産性を真剣に危惧する若者が出てきたことに、驚きと逞しさを感じました。

しかも、彼らの所属組織の多くは、投資銀行部門やコンサルティング会社であり、以前であればワークロードの高さで悪名高かった企業です。日本における現在の働き方改革は、そもそも過労死やパワハラ問題を誘発し生産性を下げるような古い体質の経営陣・会社運営の改善を目標に始まった活動であり、本質的には良いのですが、ルールだけが一人歩きしてしまった弊害の表れなのかもしれません。

働き方改革が、若手の意欲をそぐものではなく、若手でも熟練でも“意欲的に物事に挑戦する”ことが評価される組織や社会になってほしいと願います。それが真の意味で、元気な社会につながるのだと思います。

コンサルタント

渡邊 光章

株式会社アクシアム 
代表取締役社長/エグゼクティブ・コンサルタント

渡邊 光章

留学カウンセラーを経て、エグゼクティブサーチのコンサルタントとなる。1993年に株式会社アクシアムを創業。MBAホルダーなどハイエンドの人材に関するキャリアコンサルティングを得意とする。社会的使命感と倫理観を備えた人材育成を支援する活動に力を入れ、大学生のインターンシップ、キャリア開発をテーマにした講演活動など多数。
大阪府立大学農学部生物コース卒、コーネル大学 Human Resource修了
1997年~1999年、民営人材紹介事業協議会理事
1998年~2002年、在日米国商工会議所(ACCJ)人的資源マネージメント委員会副委員長
著書『転職しかできない人展職までできる人』(日経人材情報)