転職コラムキャリアに効く一冊

キャリア開発に役立つ書籍を毎月ご紹介しています。

2020年2月

なぜ世界は存在しないのか
マルクス・ガブリエル (著) 清水一浩(訳)

私は本書を通じ、1980年生まれのこのドイツの気鋭哲学者、マルクス・ガブリエル氏の大ファンになってしまいました(後述するような理由で、嫌う方もいるかもしれませんが)。

本書は、一見、転職やキャリアに直接関係があるわけでなく、何か具体的な示唆や実利的なメリットが明記されているわけでもありません。しかしながらその内容は、“生きる意味”について考えたい人にはぜひお薦めしたいものでした。私は常々「キャリアを考えることは、人生を考えることでもある」と思っており、また逆に「人生を考えることが、確固たるアスピレーション(大志・願望)を持つことにつながる」、そして「ぶれないアスピレーションこそ、前向きで、成功するキャリアにつながる」と考えてきました。その意味でも、本書こそ、本コラム『キャリアに効く一冊』に挙げるべきと考えたのです。

私が近頃抱いていた疑問のひとつは、「グローバル、ソーシャル、AI化、ネットワークなどのキーワードが浮かび上がる時代の中で、個人の存在、個人の価値、人生の意味は、これからどうなってしまうのだろう?」というものでした。本書は、まさにその問いへのひとつの回答です。個の存在を考えることは、世界の存在を考えること。そして、世界の意味を考えることは、人生の意味を考えることにもつながるからです。

哲学の本など、正直にいえば久々に読みました(哲学に心奪われていたのは高校時代までで、その後は関心を失っていました)。そのせいと日々の忙しさも相まって、とても読みやすい翻訳であったにもかかわらず、恥ずかしながら読み終えるまで数カ月もかかってしまいました。時間はかかりましたが、章ごとにまるで1話完結のテレビシリーズを観たような、わかりやすさと親しみやすさ、満足感が得られました。

私は、各章そして全体を通して著書の言わんとすることに、とても共感できたのですが、現代社会の中ではすっかり忘れられている感がある、いわゆる“哲学”とは一線を画す、新しい哲学書だと思いました。本書は生きる意味を考える助けになってくれるものです。ただし、はなから「哲学について考える余裕も時間も関心もない」という方には、まったく無意味な本なのでしょう。

本書の中では、過去の著名な哲学者らが、ニーチェもサルトルもレヴィストロースも、無残にも一刀のもとバッサリと斬り捨てられています。科学、そして宗教ですら、生きる意味を考えるときには万能ではないと著者は主張します。きっと従来の哲学者・哲学書に親しんだ読者にとっては、反感・反論も多い部分だと思います。

マルクス・ガブリエル氏が主張する、本書の第一の基本思想(新しい哲学の原則)は「世界は存在しない」というものです。ただこれは、およそ何も存在していないという意味ではありません。「世界は存在しない」という原則には、「それ以外のすべてのものは存在している」ということが含有されています。ただし「世界」を除いて。つまり、「世界は存在しないが、世界以外は存在する」というロジックです。

また、第二の基本思想は「新しい実在論」と氏が呼ぶところのもので、ポストモダン以後の時代を特徴づける哲学的立場を表しています。形而上学が「世界」の存在を前提に「世界とは何なのか?」と問うのに対し、氏の存在論は「存在すること=何らかの“意味の場”に現象すること」というものです。無世界観というテーゼに加えて、“意味の場”の存在論というテーゼを提唱しているところが画期的であり、哲学界の新星と呼ばれる所以なのでしょう。

「世界は無いが、世界以外は有る」「無と有は同一性があり、それを越える神や概念を求め続けた人類の幻想が、宗教や過去の哲学の歴史だという。科学進化を哲学者は擁護すべき」と主張するあたりからは、著者こそ今世紀の知の巨人のひとりに相応しいのではないかと感じました。俄然、哲学の領域が面白くなってきた!というのが私の素直な読後感です。

また、読み終えて安堵感に浸れる点は、「世界が存在しない」という著者のメッセージが決してネガティブなものなのではなく、世界以外の存在と個人の存在を肯定・認定するというポジティブなものであることの証明なのかもしれません。詳しい中身は各々で味わっていただくとしてこれ以上の内容はご紹介しませんが、個の存在の意義を模索したいと読み進んでいた私にとっては、特に最後の章の一節は福音書にも思えるものでした。少々長くなりますが、抜粋します。

Ⅶ エンドロール 「……そして人生の意味」より

意味の場の存在論が、ハイデガーの有名な表現を借りて言えば「存在の意味」とは何かという問いにたいする、わたし自身の答えです。存在の意味、つまり「存在」という表現によって指し示されているものとは、意味それ自体にほかなりません。このことは、世界は存在しないということのうちに示されています。世界が存在しないことが、意味の炸裂を引き起こすからです。いかなるものも、何らかの意味の場に現象するからこそ存在する。そのさい、すべてを包摂する意味の場が存在しえない以上、限りなく数多くの意味の場が存在するほかない、というわけです。それらの意味の場は、互いに連関をなして一個の全体を形づくったりはしません。もしそうなら、世界が存在することになってしまいます。さまざまな意味の場がなす連関は、じっさい、わたしたちによって観察されたり惹き起こされたりしますが、それ自体、つねに新たな意味の場のなかにしかありえません。わたしたちは、意味の場から逃れることはできません。意味は、いわばわたしたちの運命にほかなりません。この運命は、わたしたち人間にだけでなく、まさに存在するいっさいのものに降りかかってくるのです。

人生の意味の問いにたいする答えは、意味それ自体の中にあります。わたしたちが認識したり変化させたりすることのできる意味が、尽きることなく存在しているーこのこと自体が、すでに意味にほかなりません。ポイントをはっきりさせて言えば、人生の意味とは、生きることにほかなりません。つまり、尽きることのない意味に取り組み続けるということです。幸いなことに、尽きることのない意味に参与することが、わたしたちには許されています。そのさい、わたしたちが必ずしもつねに幸福に恵まれているわけではないことは、おのずとわかります。必要のない苦しみや不幸が存在することも事実です。しかし、そのようなことは、人間という存在を新たに考え直し、わたしたち自身を倫理的に向上させていくきかっけとすべきなのだろうと思います。(中略)現に見られる数多くの構造をもっとよく、もっと先入観なく、もっと創造的に理解するべく共同で取り組むことです。わたしたちは何を維持すべきで、何を変えるべきなのかを、いっそうよく判断できるようにならなければなりません。あらゆるものが存在しているからといって、あらゆるものがよいということにはならないからです。わたしたちは、皆でともに途方もない探検のさなかにいるーどこでもない場所からここに到達し、ともに無限なものへとさらに歩みを進めているさなかにいるのです。

私はこの一節を目にした際、まるで自分が100年後に彼方を目指す宇宙船の中で読んでいるような錯覚に陥りました。きっと未来の誰かが「地球を“世界”と呼んでいたかつての時代の哲学の名著、古典」として本書を読むに違いありません。私にとっては、そんな想像してしまうほど、感銘を受けた一冊でした。

なぜ世界は存在しないのか 出版社:講談社選書メチエ
著者:マルクス・ガブリエル (著) 清水一浩(訳)

コンサルタント

渡邊 光章

株式会社アクシアム 
代表取締役社長/エグゼクティブ・コンサルタント

渡邊 光章

留学カウンセラーを経て、エグゼクティブサーチのコンサルタントとなる。1993年に株式会社アクシアムを創業。MBAホルダーなどハイエンドの人材に関するキャリアコンサルティングを得意とする。社会的使命感と倫理観を備えた人材育成を支援する活動に力を入れ、大学生のインターンシップ、キャリア開発をテーマにした講演活動など多数。
大阪府立大学農学部生物コース卒、コーネル大学 Human Resource修了
1997年~1999年、民営人材紹介事業協議会理事
1998年~2002年、在日米国商工会議所(ACCJ)人的資源マネージメント委員会副委員長
著書『転職しかできない人展職までできる人』(日経人材情報)