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2020年7月

2020年6月30日にまたここで会おう ~瀧本哲史 伝説の東大講義~
瀧本哲史

本書は、2012年に東京大学・伊藤謝恩ホールで開催された、瀧本哲史氏の伝説の講義を収録したものです。本書の最後の言葉にあるように、きっと瀧本さんは講義が行われたちょうど8年後、2020年6月30日に、参加した約300名の若者に再会したかったはずです。しかし昨年8月、瀧本さんは夭逝されてしまい、学生たちとの再会は叶わなくなりました(また、パンデミックが起きて、以前のように数百名の人間がリアルに対面で集まることが難しくもなってしまいました。)

日本のみならず世界中でパラダイムシフトが起こり始めていますが、それをまるで予見しているかのごとき内容が、本書にはいくつも見出せます。驚くべき瀧本さんの慧眼であり、その考え、言葉です。

瀧本さんが今の時代(2012年当時)をワイマール前夜に例えるところから、この講義は始まります。第一次世界大戦後にドイツに誕生したワイマール共和政では、皇帝が退位し、基本的人権や社会権も明記した理想的な憲法が制定されました。素晴らしい民衆的な国家ができたわけですが、その内実はボロボロで、国として危機的な状況にあったときに「僕が何とかしてあげよう」というカリスマが出現。国民の多くが「この人が何とかしてくれるかもしれない」と彼を祭り上げてしまったのですが、それがアドルフ・ヒトラーであったと講義は展開します。

瀧本さん曰く、今の日本は当時の状況に近く、「誰かすごい人がすべてを決めてくれればうまくいく」という流れに傾きがちだか、そのような考えは嘘であり「みなが自分で考え自分で決めていく世界をつくっていくのが、国家の本来の姿ではないか」というのです。

かつて明治政府を樹立した人たちはみな、20代・30代の若い人材であったこと、天動説から地動説へなどの科学技術のパラダイムシフトでさえ、論理的に正しいだけでは実現せず、年配者がいなくなって世代交代したことで成立していくことを示し、「若者こそが世界を変えられる」のだと主張します。一人一人が正しく考え、正しい選択をすれば社会は変えられると参加者へ向け力説するのです。

また、世界を変えるための武器となるものが「教養(自分で考えるための思考の枠組み)」であり、中でも「ロジック(論理:誰もが納得できる理路を言葉にすること)」と「レトリック(修辞:言葉をいかに魅力的に伝えるか)」が重要だと説きます。特に言葉の持つ力の大きさを認識し、説得力や交渉力を支えるレトリックを磨くことが世界を変えるためには不可欠である、とメッセージします。

本書のはしばしに書かれているように、瀧本さんは「日本はダメだ論者」、「世界に飛び出そう論者」、また「MBA交渉術やレパード論、ゲーム理論などをふりかざす残念感のある人」を痛烈に嫌っています。いわゆる“賢いといわれる人たち”の弱点を見抜き、「論理可能性バイアス」についても論じていらっしゃるところは、共感を覚えました。

また、リチャード・フロリダという都市社会学者がアメリカの都市間競争力を比較研究した結果として、アーティストやクリエーター、性的マイノリティなど多様な人々が集まっているところのほうが都市として成功するという論文を取り上げ、自分と違う価値観に対して寛容な社会のほうが、イノベーションが起きやすいという論旨を紹介。マーク・グラノヴェッターという社会学者が発表した「弱い紐帯(ちゅうたい)の強み」という論文では、自分と違う人たちと組むことが成功の要因になるという論旨を紹介してくれています。たとえいま近くに仲間がいなくても、どこかにはきっと仲間がいる。そんな光を感じる講義の箇所でした。

講義の後半のパートでは、瀧本さんと参加者の間で質疑応答が交わされるのですが、感銘を受けたやり取りをひとつご紹介したいと思います(多くの人に本書を手に取ってほしいので、詳細を記すことは避けたいのですが)。

生徒19
「すみません。じゃんけんで勝って、最後にものすごく変な質問をしてしまうと思うんですが……」
瀧本氏
「大丈夫です。世の中には変な質問なんて存在しません」
生徒19
「ありがとうございます。じゃあ今、この会場にいる人たちに、僕から一つ質問をさせていただきたいんですけど、その許可をいただきたく」
瀧本氏
「どうぞどうぞ」
生徒19
「今、この会場にいらっしゃる方で、医学部や医療系の学生の方はどれぐらいいらっしゃいますか?挙手をお願いします。…6名ですかね。はい、わかりました。これから日本の社会の構造的変化を考えたときに、医療業界ってものすごく苦しくなる業界だと思うんですが、僕もそのうちの一人の学生なんですけれども、その業界から何人の学生が危機感を持って今日この場、瀧本先生がタネを撒かれた場所に来たのかなと思って、それで質問させていただきました。ありがとうございます」
瀧本氏
「はい。とてもクリエイティブな時間の使い方でしたね。この手の質問会を何百回やった中で完全にニューパターンで、非常に面白かったです。ありがとうございます」

社会を変えること、常識を覆すことができる可能性を持つ若者が育ってきていることも、本書を読んで感じることができました。

それから、最後に瀧本さんは「ボン・ヴォヤージュ(bon voyage)」というフランス語の言葉を紹介しています。これは大航海時代に船長同志で交わされた挨拶だったそうで、航海の責任を背負っている船長同士は、たとえすれ違う船が無謀な航海に出るように見えようが余計なことは言わず、「よき航海をゆけ」と、お互いの健闘を祈るのみという意味で使われたとのこと。

瀧本さんは最後にこの言葉を、参加者全員に発しています。参加者の人生に対して最大限の敬意をもって、お互いが船長と船長、自らリスクを負うもの同士として対等の精神で見送ったのでしょう。そんな瀧本さんの言葉をもう一度聞くことができないのは非常に残念ですが、来世を信じず、現世を懸命に生きた瀧本さんの渾身の講義、本書を読んで、60代の私でも強く心揺さぶられました。

いま現在も、COVID-19が人種・国境にかかわらず、世界中で大きな被害をもたらしていますが、人々の生命にかかわる難儀というだけではなく、産業・経済・雇用に対して大きなダメージを与え続けています。今後の資本主義、民主主義のそもそもの在り方を考えた上で、キャリアデザインやキャリアの選択をする全く新しい時代が幕を明けたのだと思います。

個々人の力ではなかなか変えられない世界の仕組み、社会の非合理や不条理に対して、COVID-19の問題は容赦なく攻めてきます。格差社会の底辺にいる人たちなどにその影響はより厳しいものになっています。そのような状況を見るにつけ暗澹たる気持ちになりがちですが、本書の読後感は逆で、そのような不条理や不合理に対してこそ、「教養や交渉力という武器を持って行動せよ!」「立ち向かえ!」と瀧本さんが鼓舞してくれているようで、勇気をもらうことができました。

2020年6月30日にまたここで会おう ~瀧本哲史 伝説の東大講義~ 出版社:星海社新書
著者:瀧本哲史

コンサルタント

渡邊 光章

株式会社アクシアム 
代表取締役社長/エグゼクティブ・コンサルタント

渡邊 光章

留学カウンセラーを経て、エグゼクティブサーチのコンサルタントとなる。1993年に株式会社アクシアムを創業。MBAホルダーなどハイエンドの人材に関するキャリアコンサルティングを得意とする。社会的使命感と倫理観を備えた人材育成を支援する活動に力を入れ、大学生のインターンシップ、キャリア開発をテーマにした講演活動など多数。
大阪府立大学農学部生物コース卒、コーネル大学 Human Resource修了
1997年~1999年、民営人材紹介事業協議会理事
1998年~2002年、在日米国商工会議所(ACCJ)人的資源マネージメント委員会副委員長
著書『転職しかできない人展職までできる人』(日経人材情報)